お盆~ご先祖様からの命の繋がりへの感謝~戦後80年
手のひらを太陽に
ぼくらはみんな生きてる 生きているから笑うんだ
ぼくらはみんな生きてる 生きているから嬉しいんだ
あんぱんまん
小さいころ何気なく歌っていたこの歌
朝ドラ「あんぱんまん」を見て
改めて聞くと
なんと実に奥が深い。
本当に、生きているから嬉しいんですよね!!
私の両親は広島生まれの広島育ち。
原爆投下の日の午前中、実母の母が、1歳半だった母を背負って電車の駅で電車を待っていたが、なかなか電車が来ませんでした。
しばらくして、原爆投下によって電車の運行が止まったことを知りました。
もし、電車が動いていたら、知らずに広島市方面行きの電車に乗って、爆心地に向けて近づいていくところでした。
それが運命の分かれ道であり、
私が、今、ここに生きています。
お盆は80歳になった母と、現在住んでいる高松で、父のお墓参りをして
じっくり良い時間を過ごせました。
この時間も、あの時電車が動いていたら、なかったことでしょう。
原爆投下後の「心」の不思議がもたらした奇跡
ヨガで幸せへ向かう道において大切なこととされる
「一心」
この「一心」がもたらした奇跡の物語があります。
母が生まれ育ったのは、広島県西条市。
母が一緒に暮らしていた母の祖父、私のひいおじいちゃんは、
原爆投下の翌日に
わが身の危険をかえりみず、
広島市内へ親友の行方を捜しに行きました。
必死の思いで広島市内へ。
親友は見つからず、ひいおじいちゃんは、
西条へ戻りました。
原爆投下直後の広島市内です。
放射能の影響は避けれません。
ところが、ひいおじいちゃんは
体のどこにも異常がでず、長寿を全うしました。
走れメロスの世界。
ただ一心に友を思う心が
もたらした奇跡でしょう。
ただ、親友の方のその後については
話をきくことができていません。
母の実家の西条市、父の実家の三原市
幸いいずれも放射能の影響はなく
その土地のものを食べ続けた農家の人たちは
元気に長生きをしています。
市内で被爆し後遺症に苦しんだり、亡くなったりした方々は
本当にお気の毒であると同時に
それによって、つぎの命へのバトンが断たれたことを
痛感します。
偶然、生かされた命に感謝して大切にしていきたいと思います。

